住宅は生活する為の要求によってかたちづくられていきます。しかし、その要求は多くの場合似通ったもので、常に曖昧で、おおかた予想のつくステロタイプ化したイメージです。
どこにでもあるマンションのプランや、ハウスメーカーの○○型といった一般的な住宅像がマスメディアによって浸透を促され、無意識のうちにコマーシャルで流れる情報やイメージに引きずり込まれてた結果、その本質を見失っているのです。
キッチン、食堂、居間、トイレ、浴室といった各室を適当に配置するだけで、いとも簡単に住宅らしい住宅がつくりあげられて行きます。そこには私性は見当たらず、その空間は住宅という形式から解き放たれることはありません。
一般に住宅空間を設計するということは、人の生活する動きや心を設計することだと言われています。人が生活する時、その場で立っているのか座っているのか、また、どちらを向いているのか、そこで何を見るのか、といったことを思い浮かべて、空間のかたちや大きさ、窓のかたちや大きさが決まって来るべきものであるということです。そこに人がいなくても家具がなくても、その空間を見ているうちにそこにいる人やそこにあるべきモノが見えてくるといった空間づくりが住宅空間を設計することなのだと。
もちろんそれは、住宅の中ではっきりとした機能を持った場を設計する上では重要な事柄となるべきことであり、大切にすべき手法です。しかし、人の生活というものを考える時、それが全てではないのです。我々は、生活するといった不定形であるものを無理やり行動というパターンにはめ込んでしまっていないでしょうか。ある意図を持って動く人の行動のみをその人の人間像ととらまえていないでしょうか。
生活というものを考える時、そのように解釈した方が簡単でわかり易いのは確かです。しかし、それはひとつのモデルにすぎず、抽象的な「生活の型」といった仮設にすぎません。むしろ、生活の中心は、意図的な行動と行動の間の無意識な行動(es)の中にこそ潜んでいるのではないか、そしてそのような中でこそ人は自ら生活の本質を発見する可能性を見い出せるのではないかと思います。
そういった無意識の行動に可能性を見い出し、人と空間の相互作用を期待できる空間として具体化させる。それが住宅の私性になるのではないかと考えています。